松下幸之助 道をひらくより、3分間読書。
禅の修行はなかなか厳しい。ちょっと身じろぎでもすれば、たちまちパンパンと警策がお見舞いする。痛いとも言えないし、苦しいとも言えない。厳しい戒律に取り囲まれて、箸の上げ下げすらも自由でないのである。
自堕落になれた人間には、瞬時も我慢がならないであろう。
しかしこの厳しい戒律も、回を重ね、時を経るに従って、それが次第に苦痛でなくなってくる。
戒律を戒律と思う間は苦痛である。しかし、その戒律がいつしか身に付き、日常坐臥に自然の振る舞いとなってあらわれる時、もはやそれは苦痛ではない。
そしてこの厳しさを苦痛と感じなくなった時、そこから鍛え抜かれた人間の美しさがにじみ出てくるのである。
松下幸之助 道をひらく
今日もわたしは寝坊してしまい、朝の勉強を怠りました。妻は早く起きてAIの勉強をしており、小テストに合格してました。
自分を律して、頑張ろうと取り組む姿は美しいものですね。
バリのヨガ合宿で、清く正しく美しく!と宣言した自分が懐かしいです。